日記を1年続けてみた感想

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©Pablo Heimplatz from Unsplash

2026年7月21日をもって、私の続けてきた日記という習慣が1年という節目を迎えた。

ジャーナリングという呼び方で一時期YouTubeなどでも流行ったメソッドだが、1年続けてみて思ったのは、そんな小手先の自己啓発ではない。

実は2025年から、人生を良くする、と決意して色々試行錯誤してきたが、日記は間違いなくベスト1位の行いであった。

それでは説明を始めよう。

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結論 日記とは生き方である。

日記とは、YouTuberが言ってるような、「これをやったら成功するらしいぞ!」みたいなテクニックでもなければ、「偉人がやってた習慣第1位だから取り入れよう!」みたいな、意識高い系の定番メソッドでもない。

もちろん書く内容は人によるだろうが、1年続けた私にとって、日記とは「自分の成長、知ったこと気がついたこと、今やってることで前に進めた点、などを記録していくことで、自分は将来もずっと成長していくと魂に刻み続ける」行為である。

始めたきっかけや具体的なやり方は以下で。

日記を始めたきっかけ

上記のように、2025年7月21日から日記を始めたわけだが(実は2023年にもやってみたが1か月で挫折した)、直前の時期に以下のようなことがあったのがきっかけだ。

というのも当時、キタニタツヤの音楽にハマってたんだけど、ある時彼が東大卒であることを知った。あれだけの音楽を書けて歌って、しかも最高学府を出ているのだから、天才っているもんだなぁとのんきにも思っていた。

だけどその時、急に高校時代の友人のことを思い出した。彼は中学と高校の同級生で、テニス部で6年間一緒だったし、帰る方面がおんなじの数人の中でも特に仲が良かったので印象に残ってたんだけど、すごく頭が良かった

その学校では珍しくないけどもちろん東大に行ったし、まあ卒業間近の時期はそんなに関わりがなかったけど、文系も理系もできて、顔が広いし、テニスの時も謎に人体の構造とかを考えながらフォームを作ってたっぽい。(このテニスに関しては不思議なもんで、それでも自分は勉強ばっかの学校だったけど、始めたばかりの中1以外はずっと個人技でトップクラスで、その賢い彼より上手かった。まあ授業中もずっとテニスのことばっか考えてたからイメトレ効果だろうけど。逆に彼は授業の時点で集中して全部覚えて帰るタイプだったんだと思う。)

つまりいわゆるなんでも出来るタイプで、言った事はなかったけど、俺はずっと彼に劣等感があった。俺の友達グループは他にも、医者の家の末っ子で、顔も体格もめっちゃ良くておまけにすごく優しいやつもいれば、特に数学関連で頭が良すぎるから、研究者とかになるんだろうなみたいなやつもいたけど、なぜか俺が嫉妬していた?かは分からないけど、中2の時にテニスで追い抜かれそうになって、家で泣いてたのは、そのキタニタツヤで思い出したやつのことでだった。

で、その後さらに思い出したのが、彼は高校の時にさらっと、日記を書いてるんだよねと言っていた。1回しか聞かなかったけど、なぜか覚えていた。たぶん未熟ながらも、これがこいつが優秀な秘密か?と思ったんだろうけど、プライドがあったのか面倒くさかったのか、真似しなかった。当時今くらいの実験精神があればやっていたんだろうけど、それは俺が高2の文理分離で、最初から文系を選べた過去を想定するくらい意味がないことだと思う。

(ただ、こういう人生の中でもひときわ大きなifを考える時、自分にメンターってやつがいたらまた違ったのかもなと思う。俺に子供ができたら、ある程度年齢がいったら抽象的な話もしていきたいと思うが、結局父はそういう学びを大切にするタイプじゃないっぽいし、母は、結局母もゲームをしない家庭だったら俺はゲームがある環境が当たり前ではなかったわけで、この年になってやっと矯正したが最初からゲームがなかったらどうだったのかとかは思う。ゲームは100%悪ではないがこの年になってゲームを人生から消したので、この話も1年経ったらしようかな。)

話は戻るがそういうわけで、俺の中で1つの仮説が生じた。「すげえやつって、実は裏で日記書いてんじゃないか?
まあ筋のいい仮説ではないわな。キタニタツヤも書いてたらまだ分かるけど、サンプル数は高校時代の友達の1だから。でも直感的に、年始(2025)から人生を良くすべく動いていた俺に、足りないものはこれだと思った。

ただ、日記は2023年に挫折してるわけで、おんなじようにやっても多分ダメだ。だからやり方を変えることにした。以下より。

日記を続けるコツ

この1年間で続く日記のやり方を確立したので完コピすればよろしい。まあ保存の工程が若干めんどくさいんだけど、一応続いてるんでそのまま書く。

・まず、日記を書くのはスマホの“Google Keep”。これはGoogleの一時的なメモ書きみたいなアプリで、1日ごとに違うメモを作って書いていく。

・フォーマットは、タイトルが今日なら「20260727」、で、ここが最重要なんだが、本文は全部箇条書きで!!面白いことに、基本的に最初は箇条書きでいいから日記再開しよう、だったのが、箇条書きでありさえすれば無限に続くことが分かった。しかも箇条書きならば1つの項目にどれだけ長文を書いてもいいルールだ。まあこのブログの読者なら俺の文が長い時かなり長いのは想像つくだろう…

・で、1・2週間に1回くらい、USBドライブに全てコピーする。PCでメモ帳に貼って(Google Keepはタイトルと本文を同時にコピーできないので、ここだけ若干面倒。でもここで日記の本文をさらっと読み返す、というか見ることでその1週間ほどを復習できる。自分の人生は意外と濃密なことに気づく。)、保存を繰り返す。

・さらに、USBドライブに並んだ日記のデータを範囲選択して、Google Keepを使ってるのと同じGoogleアカウントの“Google Drive”に、コピーする。これで2重に保存するだけでなく、過去の日記の内容をスマホのGoogle Driveアプリで確認することも可能。

伝えたいこと

結論にも書いたんだけど、俺はシンプルに言うと、書く価値があると思ったメモ書き、気づいたこと、進んだことしか書いてない。それに関しては段々そうなっていったのではなく、最初からそうだった。これは生き方の問題。

別に人によっては、「今日は昼に〇〇を食べた」になってもいいと思う。俺も思い出すフックにするためそういう内容を書く時もある。とにかく重要なのは、「自分は日記を書く人間である」というアイデンティティの生成だ。

自分が日記を書いて当たり前だと思ってる人間は、全てのことに関するアンテナの感度が違う。ささいなことでもそこから深堀りできないか、何か意味を見出せないか考える癖がつくし、日記とはとどのつまり人生のストーリーなので、今これで悩んでいる、これの解決法を探っている、と書いたことは、絶対に脳が、特に本人が活動をオフにしていると思っている時に、答えを考えてくれてる。

つまり人生の進むスピードが変わってくる。だとしたら、書くと書かないとでは1年後、別人になっている。これは周りとの競走では断じてなく、書いた自分と書かなかった自分の冷静かつ残酷な比較だ。

俺は1年前に再開してから1日も休まなかったし、内容がすごく薄い日もほとんどなかった気がするが、それはなぜかというと、この仮説(日記を書くこと)が俺のものだからだ。自分の人生のストーリーの中で急に思いついて、直感でコレだと思った、そのプロセスが大切。

だから、あの仮説を思いついてなかった自分がこの文章を他人事だとして読んで、それでも動いたかというとそれは分からない。人生に本気になる、という決断をするのにも、ある程度の経験と挫折と、それでも自分ならいけるという謎の自信が必要だからだ。

けどこの文章を読んで、1人でも「俺も日記をやろうかな」と思ってくれた人がいるなら、発信することってやっぱおもろいのかもなとも思う。今日キムタクを見ていて、できることはやらない、できないから面白い、と言っていて、これはまんま俺の中で、前者が書くこと、後者がApexだと思った。

でもこれに関しても1年日記を書きながら考えて、自分の人生のステージというものを意識して、あえて今は前者をやり、後者を卒業する時かもしれないと思った。だから、実験にはなるがゲームはやめた。その後しばらくして電器屋のゲームコーナーにふらっと行ったが、技術にはすごいと思えど、自分事としてわくわくすることはなかった。先に進んだのだ。

今書いてる内容にも、日記に書いてきた内容が所々含まれている。どれだけ気づきを得られるか、そのために脳を休めて、働かせて、バランスよく生きられるか。

…君も同じ道に来ないか?以上だ。(ちょっと”書く人間”ぽい視点が多いかなあ~!)

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