
今はpcのメモ帳に毎日日記を書いているが、昔ノートに手書きで気づきや読書メモをしたためていた時期があった。
最近それをまた読み返して、日記が1年続いたら同じ日付の1年前のものから順にコンテンツ化していくアイデアがあったが、その時までの暇潰しでネタにできないかなと思い、最近見つけた”AIスタック”なるものを使ってブログ記事化してみた。
けっこう長めなんだけど、さらっと見てもらって、感想を述べる。
(今回使った読書メモの対象書籍は、山口周さんの「自由になるための技術とリベラルアーツ」「ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す」。
最初に執筆してもらった際、出版時期の関係でめちゃくちゃコロナ渦感があり、今の雰囲気とずれていたのでこれもAIで2026年っぽい文脈を入れてもらった。)
ビジネスの終焉とリベラルアーツによる「自由」の再獲得──AI時代の生存戦略
1. 導入:私たちは「終わりの始まり」に立っている
振り返れば、私たちの社会は驚くべき成功を収めてきました。
松下幸之助が掲げた「水道哲学」──水道の水のように、良質な製品を安価に大量供給し、人々を貧困から救う──この壮大なビジョンは、見事に達成されたのです。コンビニに行けば24時間いつでも食べ物が手に入り、スマートフォン一つで世界中の情報にアクセスできる。モノは溢れ、便利さは極限まで追求されました。
つまり、ビジネスの歴史的使命は、完了したのです。
しかし、ここに奇妙な矛盾があります。目標を達成したはずなのに、私たちはまだ「成長しなければならない」という強迫観念に囚われている。実際のところ、世界的にも経済成長は止まっています。それなのに、なぜ私たちは成長神話から抜け出せないのでしょうか。
その一因は、GDPという指標にあります。実はGDPとは、第二次世界大戦中にアメリカを良く見せるために設計された指標なのです。戦後80年が経った今も、私たちはその古びたモノサシで自分たちを測り続けている。まるで、ゴールテープを切った後も、走ることをやめられないマラソンランナーのように。
問いを立て直す時が来ています。「どれだけ成長したか」ではなく、「どう生きるか」を。
2. 合理性の檻:なぜ「正解」を選んでも幸せになれないのか
経済学が教えてくれる「合理的選択」は、確かに私たちを豊かにしました。しかし、合理性だけでは解決できない問題──経済合理性限界曲線の外側の問題──が、今、私たちの目の前に山積しています。
環境破壊、孤独、生きがいの喪失。これらは市場に任せておいても自動的には解決されません。
さらに皮肉なことに、皆が合理的になると、かえって利益が損なわれてしまうのです。全員が最短ルートを選べば渋滞が起き、全員が高収益を追えば過当競争で疲弊する。合理性を突き詰めた先に待っているのは、虚しい消耗戦です。
ここで重要なのは、損得より善悪という価値観への転換です。
しかし、人間はそう簡単には変われません。山口周氏が指摘するように、人は信念を否定する事実を目にしたとき、信念を改めるのではなく、事実の解釈を変えようとします。これが信仰という、厄介な人間の性質です。自分が正しいと信じたいがために、都合の悪いデータは無視し、都合の良い解釈を探す。
この「合理性の檻」と「信仰という盲目」の二重の罠から、私たちはどうすれば抜け出せるのでしょうか。
3. 労働からの解放:仕事を「遊び」へと奪還する
ここで衝撃的なデータをお伝えします。「仕事に前向き」と答えた日本人は、わずか**6%**しかいません。
これは、私たちの労働が「生きるための手段」に過ぎず、「生きることそのもの」になっていないことの証左です。朝起きて会社に行き、言われたことをこなし、給料をもらって帰る。そんな日々の繰り返しに、どうして情熱を注げるでしょうか。
心理学者チクセントミハイが提唱したフローという概念があります。時間を忘れて没頭し、行為そのものが喜びとなる状態。つまり、仕事そのものが報酬となる境地です。仕事を遊びにする──これこそが、現代を生きる私たちの新しい目標ではないでしょうか。
しかし、ここに大きな障壁があります。芸術評論家ジョン・ラスキンの言葉を借りれば、「お金の心配をすると創造できない」のです。生活の不安に怯えながら、自由な発想や創造性を発揮することはできません。
オランダの歴史家ルドガー・ブレグマンは著書『隷属なき道』で、ベーシックインカムのような仕組みによって、人々を経済的不安から解放することの重要性を説きました。生存のための労働から解放されて初めて、私たちは本当の意味で「遊ぶように働く」ことができるのです。
つまらない仕事なら、さっさと去ればいい。そう言える自由を、私たちは取り戻さなければなりません。
4. 武器としてのリベラルアーツ:AIには出せない「問い」を生み出す技術
では、どうすればこの自由を手に入れられるのでしょうか。
その答えが、リベラルアーツです。
しかし、ここで一つ、決定的な変化が起きています。ChatGPTをはじめとする生成AIが登場し、「正解」の価値が暴落したのです。
かつて私たちは、知識を記憶し、論理的に正解を導く能力を磨くことに膨大な時間を費やしてきました。しかし今や、AIは瞬時に正確な答えを出してくれます。データ分析も、レポート作成も、プログラミングさえも、AIがこなしてしまう時代です。
では、人間に残された役割は何でしょうか?
それは、「何が善いことか」という価値判断と、「そもそも何を問うべきか」という立案力です。
AIは、与えられた問いに対して最適解を出すことはできます。しかし、「その問いは本当に問うべき問いなのか」「その最適解は倫理的に正しいのか」といった根源的な判断は、人間にしかできません。
リベラルアーツとは、文字通り「自由になるための技術(Liberal Arts)」。それは、当たり前を疑う力を養うことに他なりません。
私たちは無意識のうちに、時代や社会、そしてテクノロジーが作り出した「常識」に縛られています。経済成長こそ善、効率化こそ正義、AIが出した答えこそ正解──そんな思い込みに。しかし、歴史を学べば分かります。今の常識は、ほんの数十年前には非常識だったかもしれないのだと。
歴史は人間の勉強です。プラトン、アリストテレス、孔子、ブッダ──枢軸の時代に生まれたこれらの古典が、2500年経った今も読み継がれているのはなぜか。それは、人間の本質的な問いに対する洞察を含んでいるからです。
19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは『自由論』の中で、個人の自由と多様性こそが社会の進歩をもたらすと説きました。画一的な価値観に染まるのではなく、自分の頭で考え、当たり前を疑う常識を選定すること。
AI時代において、リベラルアーツの価値は逆説的に高まっています。なぜなら、AIが「正解」を量産すればするほど、「正解のない問い」に向き合う人間の力が、決定的な差異となるからです。
古典を読み、歴史に学ぶことで、私たちは現代という狭い檻から抜け出し、より広い視野を手に入れることができます。それは、AIが提示する効率的な答えに流されず、自分自身のモノサシを持つということです。
5. 「おいしい人生」のレシピ:アルゴリズムの外側へ越境する
山口周氏は、こんな魅力的な方程式を提示しています。
おいしい人生 = 知識 × 考える力
人生を味わい深いものにするには、知識のインプットと、それを咀嚼する思考力の両方が必要だというのです。どれだけ知識があっても考えなければ無味乾燥だし、考える力があっても知識がなければ薄っぺらい。この掛け算こそが、人生に深みと豊かさをもたらします。
興味深いことに、創造性は人生の累積の移動距離と相関するという研究があります。モーツァルトは生涯、ヨーロッパ中を旅して回りました。異なる文化、異なる価値観に触れることで、彼の音楽は豊かになっていったのです。
しかし、ここで注意が必要です。2024年の今、「移動」の意味が根本的に変わってしまったのです。
スマートフォンを開けば、世界中の情報が手に入ります。YouTubeで異国の風景を見て、Netflixで多様な文化に触れることができる。しかし、それは本当の意味での「移動」でしょうか?
答えはノーです。なぜなら、私たちが見ているのは、**アルゴリズムが選んだ「あなた好みの世界」**に過ぎないからです。
TikTokのおすすめ、YouTubeの関連動画、Xのタイムライン──すべては、あなたの過去の行動データをもとに、あなたが心地よく感じるコンテンツを提示します。それは、移動ではなく、むしろ**「快適な檻」への閉じ込め**です。
アルゴリズムは親切です。しかし、親切すぎるがゆえに、私たちを成長させません。ノイズを排除し、異質なものを遠ざけ、自分と似た意見ばかりを見せることで、私たちの世界は次第に狭く、偏っていきます。
だからこそ、今こそリベラルアーツなのです。
古典を読むことは、アルゴリズムの外側へ出ることです。2500年前の哲学者の思考に触れることは、「おすすめ」には絶対に出てこない、異質で、時に不快で、しかし刺激的な出会いをもたらします。
よく「知的好奇心や向学心は18.9歳がピーク」などと言われますが、これこそ疑うべきデータです。好奇心が衰えるのは年齢のせいではなく、アルゴリズムに飼いならされ、意図的な越境を忘れたからではないでしょうか。
ここで対照的な二人の人物を思い浮かべてください。
ウィンストン・チャーチルは、政治家でありながら絵を描き、レンガを積み、庭いじりを楽しむ趣味人でした。一方、アドルフ・ヒトラーは禁欲的で、自分の理想に固執し、遊びを許さない人物だったと言われています。
この対比は何を物語るのでしょうか。余裕を持って多様な活動を楽しむ人間こそが、柔軟な思考と豊かな創造性を発揮できるということです。
そして今、私たちに必要なのは、意図的に**「自分の心地よい範囲の外」**へ出ることです。読んだことのないジャンルの本を手に取る。行ったことのない場所へ足を運ぶ。異なる価値観を持つ人と対話する。
人生を「おいしく」味わうには、アルゴリズムが用意した安全なメニューではなく、自分で選んだ未知の料理に挑戦する勇気が必要なのです。
6. 結論:「役に立たない」ことの中に、人間の未来がある
今、世界は大きな転換点に立っています。
フランス大統領エマニュエル・マクロンは著書『革命』の中で、既存の枠組みにとらわれない変革の必要性を説きました。そして実際、変化は始まっています。
SDGsは、単なる企業の社会的責任ではなく、「成長」以外の価値を測る新しいモノサシとして機能し始めています。また、パンデミック後、オフィスワーカーの半分がリモートワークを続けるという予測もあります。これは、従来の経済システムを根底から揺さぶる変化です。
そして何より、AIの登場が決定的な転換をもたらしました。
AIが「役に立つ」領域──データ処理、最適化、効率化、生産性──のすべてを担うようになったからこそ、人間はようやく、**「役に立たないが、自分にとって意味があること」**に没頭できるようになるのです。
これは、人類史上、初めての出来事かもしれません。
古代ギリシャでは、一部の市民だけが哲学や芸術に耽溺できました。それは奴隷が生産を担っていたからです。中世では、王侯貴族だけが教養を楽しめました。庶民は生きるために働き続けなければならなかったからです。
しかし今、AIという「知的な道具」が、全人類に奴隷や召使いを持つような自由をもたらそうとしています。
考えてみてください。あなたが本当にやりたいことは何ですか?
絵を描くこと? 詩を書くこと? 哲学について考えること? ただ美しい景色を眺めること? それらは、「生産性」という基準では無価値かもしれません。しかし、あなたの人生にとっては、かけがえのない意味を持つはずです。
ビジネスの終焉は、終わりではありません。それは、人類がようやく「生産性の奴隷」から解放され、「文化と遊びの民」へと進化するチャンスなのです。
私たちはもう、「GDPが何%成長したか」という他人のモノサシで幸福を測る必要はないのです。リベラルアーツを学び、歴史と対話し、古典に触れることで、自分自身のモノサシを手に入れることができます。
損得ではなく善悪で判断する。
効率ではなく意味を求める。
生産性ではなく創造性を大切にする。
そんな生き方を選ぶ自由が、今、私たちの手の中にあります。
AIが「正解」を出し、アルゴリズムが「おすすめ」を提示してくれる時代だからこそ、私たちは問わなければなりません。
「その正解は、本当に私が求めていたものなのか?」
「そのおすすめは、本当に私を成長させるのか?」
リベラルアーツという武器を手に、常識という檻から抜け出し、アルゴリズムの外側へ越境し、自分の信じる道を歩き始めましょう。
あなたの人生を「おいしく」するレシピは、もうあなたの手の中にあるのですから。
そして、それは誰かが決めた「役に立つ」レシピではなく、あなただけの「意味がある」レシピなのです。
感想
そんなに綿密な読書メモじゃなかった。箇条書きで一言ずつ1冊12,3行くらい。
でもプロンプトでなるべく全部の要素を入れてほしいと言うと、ちゃんと含めてきただけでなく、”水道哲学”みたいな「分かってるよね?」として書かれてそのままメモになってるやつが説明されてたり、書籍名と著者のみのメモも内容まで引っ張りだして文脈に当てはめてある。
今回構成と執筆はそれぞれ別のAIを使ったが、速度もほんとに一瞬だった。
4章以降にはAIが独自にくっつけたAI中心の最新の文脈との結びつけがあったが、それも自然だし古い読書メモが今でも十分読み応えのあるコンテンツに生まれ変わったのはやばい。
そもそも読書メモは2冊別々で、箇条書きも読んでた順に書いてただけなのに、統合してちゃんと意味の通る1つのブログ記事になってるのも、人間いらない感がすごい。
・・・
これを続けるかは分からないが、最近見つけた「この業務はこのAIがオススメ!」みたいなリストを試したかった所なので、ちょうど良かった。
とりあえず、今後ライティングに人間はいらないのかもしれない。(俺は自分の文章が嫌いではないけど)
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