今回は、英語学習者として初の記事になる。
大学入学以来コンスタント(?)に英語に触れてきて、英検1級やノー勉でTOEIC900オーバーの実力を通過。現在では、洋書や海外ドラマ(字幕なし)・Podcastの視聴が日常化した僕が、毎日やっているオススメの習慣をご紹介しよう。
まずは実際の習慣を提示し、その後解説を行っていく。
それでは始めよう。
英語上級者がオススメする最強の習慣
- 朝起きたら、洋書を読む。特に時間やページ数の指定はなく、飽きるまで読めばいいが、最低10分は読もう。
- 一日に一回、海外ドラマ(当然英語のもの)を一話視聴する。基本は英語字幕をつけて観るが、観たことがあったり簡単なものは、字幕なしでも可。(ご飯を食べる時がオススメ)
- 夜寝る時に、ベッドに入ってから寝入る直前まで、Podcast(自分が興味を持って聴ける英語の音声ならなんでも可)を聴く。
この習慣は、一見総時間が短すぎて、勉強としては大して効果がなさそうに見える。実際、知識面では大した効果はない。
しかし、これを続けるだけで、英語という言語の獲得はめちゃくちゃ楽になる。
それはなぜか?「語学力とは何か」という側面から解説していこう。
語学力=知識×慣れ
そもそも、語学力とは何か。
ボキャブラリー・発音の良さ・スペリング・読む速さetc…
色々思いつくだろうが、僕の答えは「知識」と「慣れ」である。
「知識」とは、知っているかどうかで話が決まるもの。逆に言うと、知らないとどうにもならない類のものだ。具体的には、単語・文法・イディオム・発音等がある。
その一方で「慣れ」とは、それら知識をある程度入れた前提で、リスニング・リーディング・ライティング・スピーキングと言う、いわゆる4技能がどれだけできるか。
さらに、この4技能の中で、能動的に行うものの力は受動的に行うもののそれを越えることはない。
なぜなら、スピーキング力は広義のリスニング力(聴いてわからなければ、喋れるわけがない)であり、ライティング力はリーディングの量で決まる(脳内にどれだけ例文のサンプルがあるか、これは日本語でも同じ)からだ。
つまり、「慣れ」とはほぼほぼ、受動的知覚(読んだり聴いたり)でどれだけ分かるか、と言いかえることができる。個人的には特に、どれだけ“楽しめるか”が重要だ。
「慣れ」は「知識」より重要
本来なら、この「知識」と「慣れ」をバランスよく育てていくのが正統なやり方だ。
しかし、僕はあえて、「ある程度知識を入れたら、慣れに注力した方がいい」と言う。
(目指すレベルにもよるが、文法は大学受験を通った人はざっと復習するだけでOK。英単語は、正直初めに10000語以上どかっとインプットするのが一番速いが、最悪これも受験のボキャブラリー+TOEIC単語集1冊とかでいい)
以下がその理由だ。
言葉=音楽
このトピックは単体で記事が書ける代物だが、僕は『言葉=音楽』だという持論がある。
なぜなら僕達は、言語を運用する時に必ず4技能のどれかを使う。その際、言語特有の「音程」と「リズム」から逃れられず、それを外せばたちまち違う言語に似た何かになってしまうからだ。
(分かりやすい例に、タモリの4カ国語麻雀がある。あれは、言語を音程とリズムで模倣している。)
いや、言語どころか、実際は方言が変わるだけで音程もリズムも微妙に変わる。それは、音楽で言えば、同ジャンル内の少しマイナーなアレンジになる、と言ったところか。
なので、習得したい言語があれば、その世界観にどっぷりと浸かり、自分自身にその音程のパターンとリズムを埋め込む必要がある。いうなればその音楽と同化するということだ。
例えば、僕は関西出身なので、関西弁のイントネーションや構文リズムが生まれつき備わっている。さらに、英語(主にアメリカ英語)にも時間をかけて習熟してきた経験があるので、ある程度の音感があるというわけだ。
(リスニングの話に聴こえるかもしれないが、これはもっと普遍的、包括的な言語理解の話)
音楽の習得=時間がかかる
と、一言で言うのは簡単だが、実際に身体に新しい音楽をインストールしようとすると、思ったより時間がかかる。測ったわけではないが、体感で数千時間は絶対に使っている。
なので、工夫はもちろんするが、時間の絶対量は確実に必要になる。これは、あらゆる分野で上級者になるのに越えなければならないプロセスだ。
そのわりには、その”時間”を甘く見てる人が、いまだに多い気がする。たまに、「日本人は中高6年間英語を勉強するのに全然英語ができない!」って言う人がいるが、中高6年間”しか”の間違いだ。
だいたい、週に5・6回授業受けて、それ以外の時間全部母国語を話してる1年を、”英語を1年やる”と表現することに無理がある。
僕は大学受験の基礎をベースに2年で英検1級レベルになったので、「何年もやれ!」派ではないが、結局その後も何ヶ月かに1回生活のほぼ全てを英語漬けにしたり、冒頭の習慣で毎日地道に積み上げているので、結果やっぱり数千時間やっている。
言語=音楽=時間がかかる
ということで、一旦まとめ。言語とは音楽で、音楽の習熟度はかけた時間に比例する。よって時間をかけるしかない。
(マルコム・グラッドウェルが「10000時間の法則」で紹介している通り、音楽は時間対能力の比例関係が最も強いジャンルの一つ)
時間をかけて、その音楽を自在に使えるようになった状態を、言語学習では「慣れた」と言う。
だから、知識も大事だが慣れを重視する、というより、慣れを舐めないで時間をかけよう。
身もふたもない結論に聴こえるが、ちゃんと工夫の余地は残されている。
次の章では、どうやったら楽に時間をかけられるか?という一見パラドックスなお題の答えを探求する。
(知識を軽視しているわけではない。ネイティブではない以上、知識という補助輪は絶対に必要。)
最も簡単な方法は習慣化すること
「じゃあ明日1日12時間英語したろ!(大げさ)」という人はさすがにいないと思うが、勿論それは間違っている。
知ってる人も多いと思うが、語学学習では継続が命、いや、“前提”と言っていい。
これはなぜか?
なぜ継続が命なのか
知っての通り、脳が記憶の整理をするのは寝てる時だ。この時に「これは要る情報、こっちはいらん情報」と仕分けをしている。
この作業は1日1回必ず行われるため、起きている時間のどこかで一度英語の回路を使っておかないと、脳が勝手に無駄な情報としてデリートしにかかる。
(多少個人差あり。正直、僕はスポーツでも語学でもこの手のブランクがあまりない。定期テスト後の部活で無双してたタイプ)
しかし、逆に言えば、短時間でも毎日その回路を使えば、「この情報めっちゃ使うやん!」と脳が判断し、記憶をどんどん強固に、回路を自動化しにかかるのだ。
この機能がめちゃくちゃ使える。使う限りは、どんどん得意になっていけるからだ。
なので、1日何時間も英語をやる前に、毎日英語に触れる習慣を身につけることの方が結果として効果が高い。
そのため、優先順位が高く、かつ忙しい人でも取り入れられる方策だと言える。
どうやって習慣化するのか
しかし、習慣化・継続は、言うより行うが難すぎる。
僕も大学入学後の2年間は、毎日だいたい朝6時から8時に英単語を覚えるという、とんでもない真面目さでやっていたが、今同じことをやれと言われたら、正直無理だ。
(いつか、この人生に数回しか使えない爆発的なパワーを、どの分野に使うべきか考察した記事を書く予定。)
それで、色々な継続の手法を試した結果、『スイッチ』というテクニックが最も有用だと判断した。
これはどういうものかと言うと、日常生活で普通にする行動をスイッチにして、習慣化したい行動をスタートさせる、というものだ。(たぶん語源は「switch」なので、習慣から習慣にスイッチする、のスイッチ)
例えば、「トイレに入ったらブログネタを考える」とか、「ご飯を食べたら散歩する」とか。
万能な方法ではなく、どっちにしろある程度の意志は必要になるが、上述のルーティンがずっと続いている僕としては、めちゃくちゃオススメだ。
コツは、なるべく楽しんで取り組めるように工夫すること。
例えば僕の場合、洋書もPodcastもその時読みたいor聴きたいもので、しかもなるべく簡単な、8,9割は分かるようなものだけを使う。(あくまでも英語の回路を使うことが目的なので、内容の難しさは必要ない)。
今だと、Podcastが「Yonaka Tea Time」で、洋書は「ハリー・ポッターと秘密の部屋」。どっちも面白いし、内容がほとんど分かっているので、無理なく続く。(秘密の部屋は和書も映画も見たし、夜中ティータイムは4,5周目)。
ちなみにきっかけは、2019年の秋ごろに英語熱が再燃し、仕事以外英語一色(仕事もまあまあ英語使うけど)にした時だ。
いつものように飽きがきた(僕の飽きっぽさは中々ひどい)が、今回はなんとなく、「このまままた0にしたらもったいねぇなあ」と思った。
ただ、やっぱり飽きてるから、時間が取れる時に大々的にやる気はなかった。そこで、ベッド周りの時間だけで習慣を構築した所、驚くほど上手くいった。
(その後やっぱりリアルに喋っているシーンも見た方が良いと思い、ドラマ視聴の習慣も付け加えた)
もちろん、元々英語力を高めてたというのがデカいのだが、この習慣だけで、読むのも聴くのもいっそう向上している。
しかも嬉しいことに、やっぱり日常的に触れていると、その言語に対する興味自体も持続し、もっとやってみようと思える。(自分がうまくできるものは好きになる法則)。
英語上級者がオススメする最強の習慣 (再掲)
というわけで、英語は慣れが大事で、慣れるためには大量にやるしかない、そしてその前段階として、毎日触れるのは最低限習慣にする方法が、以下だ。
- 朝起きたら、洋書を読む。特に時間やページ数の指定はなく、飽きるまで読めばいいが、最低10分は読もう。
- 一日に一回、海外ドラマ(当然英語のもの)を一話視聴する。基本は英語字幕をつけて観るが、観たことがあったり簡単なものは、字幕なしでも可。(ご飯を食べる時がオススメ)
- 夜寝る時に、ベッドに入ってから寝入る直前まで、Podcast(自分が興味を持って聴ける英語の音声ならなんでも可)を聴く。
ぜひ試してみてほしい。
おわりに
英語は、できない時にできる人を見ると超能力みたいに思えるが、できるようになってみると、「なんだ、こんなもんか」と思う。
しかし、一番のメリットは、語学という誰がやっても一定の努力が必要なものを真剣にやることで、継続力ややり方のリサーチ・工夫する精神など、物事に習熟するために抑えておきたいスキルを、だいたい身に着けることができる点だ。
今の時代、どんな国の出身でも、そこそこのエリートなら英語はできて当たり前だ。(日本はできなくても何とかなるくらいの経済・人口があるが、それもいつまで保つか分からない)
ただ、だから英語やろう!みたいなスタンスでは全くなくて、将来のためとか消極的な理由でやっても、よっぽど志が高くないと続かないので(実は僕は最初このパターン)、やりたくなったらやれば良いと思う。
ただ、こんなにネットが発達していて、やり方とかも調べたらいくらでも出てくる時代なのに、いまだに英語のハードルを高く感じている人が多く、なんだかなあと感じる。
例えば、ゲームがうまい日本人配信者が、機会があって少し日本語が喋れる海外の人とプレイする機会がある。
そういう時、英語が喋れないなら喋れないと言えばいいものの、なんかスカして、あくまでも英語が喋れないんじゃなくて喋る気がないんですよ、みたいな感じやる人がいる。
結果、日本人同士で手加減なしの語彙・スピードで喋り、外国人が置いてけぼりになっている。
正直、そういうのってめちゃくちゃダサい。いくらゲームがうまかろうが、精神的に尊敬できない。
語学力ではなく、歩み寄ろうとしてくれている別の文化の友人に対して、あまりにも礼儀がなさすぎる。
そして、特に配信界隈では、他の国の人が日本語を学ぼうとしてくれる事はたまにあっても、逆はほとんど起こらない。
日本の配信業界は特殊で、最近は自粛ムードもあり、国内向けだけで十分にやっていけるのは分かる。ただ、同じサイトで海外の人がバリバリやってて、ちょいちょいお互いを意識しあっているシーンがあるのに、英語ができないせいでこのザマだ。
僕がゲーム実況や配信で伸びなかった人種だから、嫉妬も多分あるんだろうが、正直この点ではあいつら全然だなと思っている。
まあ、ゲームとか配信の業界って、そんなに勉強してきた部類の人も多くなさそうだし、仕方ないのかもしれないが。
繰り返すが、調べたらやり方はいくらでも出てくるし、続けることさえできれば、必ずレベルは上がる。
こんな僕も、気づけば8・9年やっている。
後はその人次第なんだろう。以上だ。