書くことと自分、これから

俺は結局ブログ、ひいては「書く」という行為を人生において継続的にやっていきたいのか。

最近そのようなことばかり考えてしまっている。

しかし、実際に手を動かし始めたはいいものの、あまり良い心地はしない。

だいたい、ブログってめんどくさい。一生テーマを変えないなんてことはないだろうし、ちょいちょい色んなものが更新されて、その都度表示が変になる。

僕は雑音が嫌いなたちで、ゲーム実況が音を立てないとできない、つまり声を出してもよい環境でないとできない、という点に関しては、あまり好ましく思っていない。少なくともフットワーク軽く家を飛び出して、色々な所に泊まるような生活がしたい人は、ノートパソコン1台で完結するブログの方が手軽だろう。

しかし、そう書いていく内に徐々に不快感もなくなっていくことに気づく。そう、ブログ、ひいては書くという行為はゲーム実況と違い習慣化はされていないので、やはり久々に始めると珍しいことを始める、という性質の嫌悪感が勝っていただけかもしれない。

とにかく、長年自分の性格、性質、才能を吟味してきた後、やはり確信しているのは、僕は書くことに向いているということだ。

特に良いのは、静かに進められるという点。これはもう少し年を取ってくると顕著になってくると思うが、やはり騒がしいのはあまり好きではなく、自分のこだわっているものに関して粛々と自分のペースで進められる、そんな性質のものが好きだ。

かといってその工程に音が入るといや、とかではない。それならば僕の長年の一番の娯楽であり自己啓発、まったく苦でなく楽しい努力が「歌を歌うこと、声を良くすること」にはなりえなかったと断言できる。

月並みな言い方になるが、「ずっと自分の実験室にこもって、大切なこと、美しいこと、真理について考える、試す、改善し続ける」ということが、最も理想的な生活だ。

これはここまで書いてきて、やっと自分の中で出てきた価値観かもしれない。

実は最近彼女ができ、彼女もまた僕と同じく、自身の中で大切なジャンルがあり、それに対して向きあうような生き方を望んでいることがわかった。

しかし、僕と違い、そのジャンルはどちらかというとむしろ「家にこもっていては成立しない」という性質を持つので、僕もやっぱり起動性のあるもの、少なくともデスクトップPCをはじめとする各種機材、そして声を出せる環境がないとできないという今の状況では、今後を考えると都合が違いすぎて難しい部分もあるのかもしれないと思うようになった。

ただ、これはむしろ良いことなのかもしれない。人間というのは面白いもので、全く違う性質の者の方が相性が良い、ということがよくある。特に僕の今までの経験では顕著だ。僕は僕のような人間とは合わない。

喜んでくれる人がいる、ということも考慮に入れるべきだと思う。僕が放送をするとコメントをしてくれる人、毎回絶対に待機して静かに楽しんでいてくれている人、言葉は打たないけど本当は昔から応援してくれている人。動画投稿2年と配信半年弱。僕が気づいていないだけで、様々な関係性が生み出されている。

思えば繋がりがなくなってしまっただけで、SNSや企画持ち込みでお世話になった人もいた。僕が偏屈な人間であるために失ってしまった繋がりもあったけど、数字がない時から僕の価値を分かってくれる人は確実に存在した。その事は絶対に忘れてはいけない。性格診断とか脳の診断、占いとかはどちらかというと大いに参考にする人間だけど、やはり生きている人間に反応を頂ける以上の変化はない。ありがたい。

「やりたいことをやれば良いのではないか」そうだと思う。それに尽きる。僕が色々と考えてしまうのは、中途半端を気持ち悪く感じてしまうためだろう。仕事というか、ずっと向き合っていくものが複数ある状況も、正直あまり心地の良い状況とは思えない。

しかし、その一方で自分を不遜にも評価する自分が存在する。僕は才能がある、というより、少なくとも能力が高い。ただ、それが適応されるジャンルとそうでないジャンルは確実に存在し、見極める必要がある。言えることは、この言葉というジャンルに関しては、圧倒的なものがある、という事だ。これは、結局のところ直感、他者評価、これまで使ってきた無数の自己分析ツール、全てから得た確たる理解だ。

なので、喋りと文章を全く別次元の性質でクオリティの高いものを目指す、そういう生き方が自分にできる可能性はある。そう思っている部分もある。

なんにせよ、習慣にしないことには、それを専門に、大切にやっているとは言えない。つまり、現時点でブログ=書くことはゲーム実況=喋ることより明らかに下だ。

ただ、ざーっと流れるように思考を文字に起こす感覚は、これを続けるか否か関係なく、大事だ。この行為が得意だという認識そのものが、僕を強くする。

お金があったら、毎日100%好きなことができたら、何をやっているだろうか。やはり具体的なものではなく生活体系が浮かぶ。「こだわっている何かを究極まで極めたい、自分の限界を解き明かしたい」やはり興味の対象が内側という点で、内向的だ。

あと、美しいものが好きだ。僕はゲームは美しいと思っている。

続けるには、めんどうなプロセスを全て排除するのが良いと思う。僕はブログを始めた時、実況はエンタメ、ブログは実用(情報)と定義したが、これはやめる。本当に価値がある行為は、僕の場合思考をできるだけそのままの形で残しておくということだ。エッセイのようではあるが、そんな綺麗なものでもない。これは独り言だ。

サムネも作りたくない。本は表紙が違うだけでめちゃくちゃ売れたりするが、僕はもう文章が売れてほしいとは思っていない。売れるものを目指すと、どうしても自分の本質とずれてしまうような気がする。よくある情報ブログのような「このような悩みを解決します」みたいなテンプレとかいらないんだ。

僕が書くことが残って、いつか「ああ、この人は自分なんだ」と思う人が少しでも出てきたら、その人にとって道しるべになるようなことを此処で見つけてもらうことはできるかもしれない。

それはつまり、自分自身にとっても同じことだ。毎日地図とコンパスを確認する心持ちで、何か書けたらいいなと思う。

スマホにキーボードってつなげたっけ?それさえできたら続けられるかもな。

なんにせよ、僕は言葉を作って生きていきたいと思ったよ。書いてて。

自分の中でハードルを下げて下げて、それでも今日、書き始めるという行為はすごくしんどかった。

でも自分でぐちゃぐちゃやん、て思えるそれが、本当に普段やってる考えるということだから。

ゲーム実況の名義とは別で、ななしのごんべえでやった方が書きやすいかもな(笑)

とりあえず、ずっと頭の中にある、俺って書くの、書かないの、ということについて書きました。

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