“好きな事”と”得意な事”どっちか迷ったら読んでほしい

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はいどうも!

今回は若干自己啓発(笑)ぽい話。

人間「これをやるぞ!」と思ったら、ある程度の努力はすると思うのですが、その努力はできるとして、じゃあ差がつくのは「何を選ぶか」って話だと思うんですよね。

よく言われているのが、「好きなことと得意なこと、どっちを選ぶのがいいの?」という疑問。

そのあたりの事を含め、暫定ではありますが、僕なりの結論を書いていこうと思います。

よろしくお願いします。

Contents

はじめに

まず前提として、「いや、細かいことは考えずに、とりあえずやりたいことやればええやん」て声があると思うんですが、それは大正解(笑)

ただ、それを続けていくに当たって、やっぱりどっかで思うんですよ。「結果が出ない・・・好きで始めたはずなのにつらいな」と。

なので、上の考え方で進むにしても、答え合わせ的な指針があったら少し楽かなと思い、今の僕の考え方を紹介します。

まず、色々なビジネス書で言われているのが、「”好きなこと”と”得意なこと”と”人に喜ばれること(もうかること)”、この3つをベン図で書いて、重なったものをやろう」という考え方。

これ、悪くないと思います。ただ、そんな都合よく見つかるもんでもない。

特に、人に喜ばれる(もうかる)ということは社会全体にとって一定量のニーズがあるという事なので、自分自身でどうにかなる問題ではないです。

(ビジネスの基本は誰かの利益になることをして、その対価に金銭をもらうということなので)

そこでまず、3つ目の「人に喜ばれる」以外の”好き”と”得意”を分解して、なぜこれらが必要とされているかを考えてみることで、より良い指標が作れないか、検証してみます。

“好き”とは何か

まず、”好き”について。

物事を好きであることの最大のメリットは、継続できること

何かで結果を出す(今回の記事は、「基本的にはやりたいことをやりゃあいいけど、結果を出したいなら何を選んだらいいか」を考えるものなので)には圧倒的な量の練習や試行錯誤が必要なわけですが、英語学習の記事で述べたように、量をこなすには継続が欠かせません。

継続する方法としては、強固なシステムを作り、それを習慣にしてこなしていくのも方法の1つですが、それが本当はやりたくないことの場合、結局ただの我慢の一形態にすぎないと言えます。

その点好きなことは、自然に継続ができてしまうので、やはり大きなアドバンテイジだと言えるでしょう。

僕自身も「継続しよう!」と身構えて歌をやってきたわけではありませんが、結果として人生で一番長く、多くやっています。

(語学や実況、ブログに関してはやりたいという意志にプラスアルファで継続のシステムを組んでいるイメージです)

その一方で、”好き”というのは感情です。つまり、変化します

小学生の時に好きだったもの、全てに対して「今も好きだ!」と言える人は少ないのではないでしょうか。

(ベイブレードとか遊戯王カードは今となってはそんな興味ないですもん笑)

これらを総合して、好きなものは、

①中〜長期的に考えると自動的に上達したり量をこなせたりする可能性が高い一方で

②超長期的に見るとやめている場合もある

と言えます。

つまり、”好き”のみを導入のきっかけにして生きると、そこそこできるものがたくさんできる(短期的にハマって飽きるものも含め)というイメージです。

“得意”とは何か

“得意”の定義

次は、”得意”について。

これに関しては、”好き”と違い主観より客観の要素が大きいため、勘違いのリスクを多分に含んでいるというのが前提です。

よってまずは物事を得意に分類する定義を作る所から始めます。

これもどこかで読んだことなのですが、”得意”の定義付けとしては「全く努力していないのに、人よりはるかに優れた成果を出せたことがあるもの」とするのが最も良いと思います。

ポイントは一切頑張っていないことと、結果が圧倒的であること。

結構厳しい指標ですが、それは資本主義の性格上、こう定義した方が良いと判断しました。

というのも、『言い訳』の書評の記事でも書きましたが、マーケットで売れるものってほんのごく一部というか、認識としてはトップの1人っていう感覚でいても良いとさえ考えてます。

そこに生半可な得意を出してきても何の足しにもならない。まだ、好きだけど苦手なものを継続する方が、確かな成長率をキープできるだけマシなレベルです。

↓↓自分語りコーナー↓↓

その視点でいくと、僕のブログという新事業(かっこつけて書いてるけどただの趣味)は、僕には珍しく好きより得意で選んだ感が強いです。

(好きというよりなんとなくブログやりたくなって始めたので笑)

別にものすごい経歴とかがあるわけではないですが、地味に自信になるような経験がポロポロとあり、そのおかげでなんとなく僕の中でずっと、読み書きは最終兵器みたいな所がありました。

(ただ、やっぱり僕はゲーム実況者なので、ブログはいつまでもサブという位置づけにあるとは思います)

↑↑自分語りコーナー↑↑

“得意”の性質

さて、それでは”得意”の性質を見ていきましょう。

まず、好きとの一番の違いは変化しないこと。

正直こんなもん才能の言い換えだと思ってるので、本人の意志関係なく得意なもんは得意だし苦手なもんは苦手です。

そして、得意だから成功するとは限らないが、成功した例を見てみると、やはり得意なことをやっているケースが圧倒的に多いです。(特に人気商売やスポーツなど先天的な要素の影響力が強い物において)

なので、”得意”はある意味、成功の必要条件だと言えるでしょう。

(逆に、有名な研究でも言われていますが、「楽器の練習」は人生全体の合計練習時間と活躍が、高い相関関係にあります)

得意による成功の最たる例は、圧倒的な顔面偏差値でスカウトされ、そのままトップスターになる女優さんとかですね。

例えば、もし橋本環奈さんが声優志望だったとして、今が「声優が顔出しなんてありえない!」という時代だったならば、彼女はアイドル・女優として歩んできた現在と同じくらい活躍できていたでしょうか?

(橋本環奈さんはご自分の声を「カスカス」と表現されています。もちろんそれが魅力的だという声もあるでしょう)

↓↓自分語りコーナー↓↓

ちなみに、実はこれまでたびたびブログ記事で話題として出してきてる、歌とか声っていうのが、僕にとって文章の対極に存在するものです。

10年以上努力してきましたけど、正直元々声の良いやつには勝てません(笑)

ただ、だからこそ文章で逆のことが起こるわけで、人生ってわからないですけどね!

そして、これは僕の個人的な意見に過ぎないんですけど(このブログ自体が個人的な意見だが)、自分が得意なことがめっちゃ好きって人は少ない気がします。

これには色んな理由があるでしょうが、特に挙げたいのは、人間無い物ねだりで「隣の芝が青く見えてしまう」ということです。

僕自身、小学校の時から国語だけは、別にめっちゃ本好きとかでもないのに

(これは今もそうです。書評とか出してますが、正直本の虫みたいな人には程遠い。明確な得があるから読んでる感じです。だから小説が少ない)

かなりできました。

理系選択なので高校からはろくにやってませんが、中学では国語だけ全国何位とかで、当然学年でも上位で。

それでも「国語得意なんかダサいな」って思ってました(笑)逆に数学ができるやつの方がカッコいいみたいな(笑)

こんなんただのジャンルの差であってそれ自体に優劣なんかないんですけどね。

もっと言うと、歌もそもそもはないものねだりから始まってます。

高校くらいからニコニコで歌ってみたが流行ったんですよね。それで「声がカッコいいってそんなにモテるんか!!」と思ったんでしょう、ばりくそ練習してました(笑)

ただ、録音した自分の声を聴いたら絶望して(笑)あと、自分の声の通らなさは以前から自覚してたので、声に関してはずっと「才能はない」という認識できてます。

(逆に、声質の才能という意味では、僕の中ではずっと、歌い手の『そらる』さんがトップです)

歌自体は小学生くらいからずっと好きだったんですが、ある時期の僕の声質(イケボ、響きetc)への異常なこだわりは時代の産物だと思ってます(笑)

(もっと後に生まれてたら実写系YouTuberとかやってたでしょうね笑)

まあ、最近は声へのこだわりもなくなってきてるんですが。

↑↑自分語りコーナー↑↑

“得意”の成功例

さて、もう少し論を進めますと、若くから頭角を表して活躍される方々の多くは、数少ない「好きなことと得意なことがたまたま同じだった」人だと僕は考えてます。

もっと言うと、彼らは得意から入ってそれが評価された結果好きになっているケースが多い。

有名な動画投稿者とかだいたいそのパターンで、「俺の方がうまく(面白く)できると思って始めた」みたいなのは山ほどいます。

一旦人気者になってしまえば、現代の若者はだいたい承認欲求が強いので、中毒になりますよね(笑)これが大物実況者が生まれるカラクリです(笑)

それで言うと、僕はただ昔からゲーム実況のファンで、ずっとやりたかったのをようやく始められただけなので、動機としては弱い気がします。(別におもろいからええけど)

ということで、”得意”について一応まとめておきましょう。

①生まれつきで不変のため、安定してクオリティが出せる確率が高い。

②しかし、得意でも好きとは限らないため、人生が楽しくなるかは別の話。

(トルストイか誰かの言葉で、「人生で一番の不幸は、嫌いなことで成功することだ」というものがあります)

“好き”と”得意”の結論

さて、ここまで書いてきて鋭い人はもう気付いているかもしれません。

そう、成功するのに一番手っ取り早いのは、「得意なことを好きになること」

“得意”という圧倒的な才能を”好き”による努力で限界まで磨く。

紳竜の研究の考察記事で書いた、才能と努力の5×5を作る最もシンプルな方法を、僕はやっと思いつけた気がしています。

まあ、「こんなもんどっかに書いてある」という声もあるでしょう。

でも自分でたどり着くのと人に与えられるのは180度違います。

僕は小学一年の時から「自分は読み書きが得意だ」という認識がありました。

ただ、それでもその”書く”がどうしても好きになれず、物を書く習慣が身についた事がなかったんです。

理由は様々あるでしょうが、究極的には僕自身の「”好き”は変わらない」という思い込み、及び好きじゃないものを好きになろうとする努力の欠如でしょう。

だからこのブログは僕にとって一番新しい実験でもあります。

「好きは変わるし、その好きを得意に重ねたら一番強い」

そして、ここまで分かってても自分はブログを捨てるかもしれない。

でも、捨てたら捨てたで嫌いなもんは結局嫌いだという良いサンプルになるし、今度こそ二度とやらなくなると思うので、それはそれで進歩です(笑)

とりあえず、この記事を読んだ方は、まず自身の人生の棚卸しを行っていただき、少しでも得意なものの要素を列挙し、自分がやっていることにプラスにならないか、考えてもらうと良いと思います!

僕自身も、好きなゲーム実況をもっと得意になれないか、得意な書くという行為をもっと好きになれないかと、日々思考錯誤しています。

お互い頑張りましょう!

おわりに

ということで、みんなも得意なことを好きになる努力をしてみよう!人生変わるかもよ!?

読んでくれてありがとうございました!

P.S. 最後に才能に関して僕がずっと頭に保存している1つの言葉があるので紹介します。

「天才とは、蝶々を追いかけていたら知らぬ間に山の頂にたどり着いた子供のことだ」

どう取るかは自分次第!!

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