こんにちは。
今日は、久々に動画投稿についての話をしたい。
エンターテインメントの主戦場が動画サイトに移ってから久しいが、参入している人数が多すぎるために、ほとんどの投稿者は埋没してしまっているという現状がある。
知っている人もいるかもしれないが、僕は3年ほど色々試行錯誤をした結果、最適解にたどり着いたはいいが、その戦略が、僕が本来望んでいる生き方と乖離していたため、動画や配信の活動は一時休止という形をとっている。
今回は、その辺りの話を詳しくすることによって、一度YouTubeの攻略法という形でまとめておくことにした。
またエッセイのような形の記事も投稿したいが、ひとまずはこのブログが見てもらう価値があるものだということをアピールするためにも、考えてたどり着いた研究結果のようなものを投稿する頻度が多くなると思う。
それでは始めよう。
結論
YouTubeで名前を知ってもらう、チャンネルを登録してもらうには、クオリティの高いコンテンツを短時間に凝縮したものを長期間にわたり投稿し続ける必要がある。その際、#1~のようなシリーズものではなく、それぞれが単発動画としてタイトルを作成すること。
既に伸びている投稿者は人柄・お喋りが価値となり、ただ話すだけで見てもらえる状況にあるが、数字が少ない状態でそれをやろうとしても、そもそも動画や配信を開いてもらうきっかけであるオススメ欄や関連動画に載らないので、永遠に見てもらえない。絶対にやるな。
説明
この結論にたどり着くまでは、長かった。3年間の動画投稿と、半年間の生配信をやり、ようやく結論を得る事ができた。
結果として、昔立ち読みした「動画2.0」という本と同じ主張になってしまったが、自分で試して考えて、ようやく意味が分かったので、詳しく説明する。
愚者は経験に学ぶ、というような形になってしまったのは、実写のレビューや企画ものの動画ではなく、ゲーム実況動画だったことが大きいと思っている。
動画投稿について
まず、僕は活動期間3年半の内、3年ほど動画投稿を行っていた。
その期間での試行錯誤だが、結論としては、ただゲームをプレイしているだけで、数字が少ないのに特別な価値を付与できなかったことが敗因である。
伸びた動画は、たまたまプレイ動画しかなかった懐かしい系のゲームを実況でやったものや、そこそこヒットしているゲームなのによくつまづく部分の攻略動画がなかったもの、日本で有名だったゲームが海外のみでリメイクされ、それの翻訳を出したものくらいだ。
各々、上に挙げたような意味合いで価値があり、若干数字が伸びたりはしたものの、ただゲームをやっているだけの、他のほとんどの実況シリーズに関しては、全くと言っていいほど見られていない。せいぜい、懐かしいゲームの動画でサムネが良かったものが再生される程度だ。
それもそのはず、そのような価値がなければ、ただ関西弁の男がゲームをしているだけだ。有名実況者の実態もはっきり言って同じだが、だからこそ、無名な実況者が同じことをしている動画を観に来る理由がない。
また、この時は特にそうだったが、動画時間をコンパクトにして面白いor価値のあるシーンのみを詰め込むという考え方が圧倒的に欠けていた。
僕は元々ゲームをやっていさえすれば永遠に喋れる、というのが基本のスタイルだが、だからといってその時間を全て動画にしてしまっては、確実に飽きて離脱される。誰もよく分からない投稿者がダラダラゲームをやっているシーンなど求めてはいないのだ。
よく「垂れ流し」と言われるが、ニコニコ動画を観ていた時代は、特に、そういう動画でも伸びている傾向にあったし、僕自身、好きな実況者のそういうタイプの動画もむしろ好きだった。
しかし、今は時代が違う。面白い動画はジャンル問わず無限にあるし、人が多い所の方がコメントが多いので、それだけでコンテンツが濃くなる。無名の人は、まず知ってもらうために、「価値」を常に意識してコンテンツ作りをしていかなければならない。
ちなみに、この時はシリーズ(パート1~という風に数字がつくもの)という形態で投稿していたのも、考えてみればよくなかった。実写・実況関わらず、伸びている投稿者のチャンネルで、シリーズものをダラダラ投稿しているチャンネルは存在しない。
…この3年間は今考えてもなんでこの程度の気づきにこれだけ時間がかかったのか分からない。ましてや、本当に気づいたのは配信の切り抜きを上げるようになってからだ。無能と言わざるを得ない。
生配信について
2020年の秋から、生配信を始めた。
理由は、動画投稿だと、どれだけ時間がかかってもいいから面白いものを用意して発表する、というスタイルなので、お笑いでいうネタコンテストの状況。
僕は笑いのセンスがないので、その分野で戦うのは難しいと思い、その場の頭の回転という、同じ土俵で勝負できる、生配信という形態を選んだ。(お笑いで言うと、バラエティに近い)
また、みんながやっているゲームをやっても差別化はできないと考え、ゲームソフトは英語版しかないポケモンの改造版を選んだ。
このように、徐々に価値を意識し始め、やり方を変えていったのは、悪くなかったと思う。
しかし、同接は半年間やってもずっと5人以下。ほぼ変わらなかった。また、アーカイブの伸びも悪い。
これを自分なりに分析してみたが、理由は2つあると思う。
1つ目は、アーカイブの時間が長すぎて、興味があっても観る気になれないという点だ。ポケモンクローバーのアーカイブも、最初のパート以外数字がガクっと落ちるので、間違いない。
そして2つ目は、生配信は確かに喋れる方が良いのは確かだが、それ以上に配信者の人格で継続して見てもらえるかが決まる、という点だ。
僕の文章を読んでもらえば分かると思うが、僕は対人コミュニケーションに全く向いていない。こんな感じで1人で考えているのが一番楽しいタイプなので、配信もコミュニケーションが盛ん、という印象ではなく、公開収録のような感じで好きな人が挨拶だけして、飽きるまでは見ていってくれる、コメントはそんなにつかない、という感じだった。
配信が終わると、20再生やら30再生やら再生回数が出るが、ずっと5人以下(もっというと1,2人は実質ゼロ)なのにこれだけの数字があるということは、ゲームや配信タイトルに興味があり、少し開いて、こいつは観る気がおきん、と思われてるパターンが9割以上だという事だ。
それだけ僕という人間はある種つまらないし、日本人は英語のゲームに興味がない。そういうことだ。
中毒の記事を書いた後の今でこそ、YouTubeやTwitch、TikTokなどの動画投稿サイトは観ずに、Netflixで作品に触れることにしているが、2009年から実況・配信を観てきた僕だから分かる。実況は人格(と声)が最も大事で、僕にその人格は、ない。
まあ、僕個人は正直言うと、こういう分野をずっとやるのは、もったいないという考え方がどこかにずっとあった。明らかに、ゲーム実況やその他動画投稿で活躍している人達と、才能のベクトルが異なるからだ。
よって、結局半年ほどほとんど毎日配信で頑張っていたが、伸びなかったのは必然だったと、今となっては思う。ゲーム配信に向いている人材とは、考えるのがそこまで好きじゃなく、ゲームだけしてれば幸せなタイプ、そして何より人間が好きな人。これだと思う。
切り抜き動画について
配信アーカイブがあまり伸びていないのに気づいた僕は、切り抜き動画に着手した。
長いアーカイブの面白い所、重要なシーンだけ切り抜いて、時間対クオリティをあげれば、必ず観てくれる人は増えるはずだと思った。必然的に単発動画になるので、気軽に見やすいこともメリットだ。
実際、このやり方は正解だった。切り抜き動画を上げるようになってからというもの、毎日とは言わないが、コンスタントにチャンネル登録が伸びるようになり、また、切り抜き動画自体の再生回数も、だいたいチャンネル登録者数の10分の1程度という、かなり自然な数字をベースに増加傾向にあった。
チャンネル登録者は200人後半をスムーズに駆け上がり、ようやく動画投稿の最適解を見つけられた、というわけだ。(数字の規模が少なくて参考にならないよ、という人には申し訳ない。僕はそれくらい人に好かれる才能が欠けているし、それがイヤだとも思っていない)
(思い出してみると、僕に今まで話しかけてくれた大半の人は、後で考えてみると、自分にない視点からコメントしてくれたんだな、と気づかされる人や独特のセンスで活動されている方が多かった。僕が少なくとも平均よりはだいぶ上の水準にあるので、やはり類は友を呼ぶ。そして、統計的に言って、そういう人達は少ないのでいずれにせよ数字が確保できない。簡単な話、衛門っぽいコメント欄と僕の所に来てくれた人たちは、IQの値が全く違うように見える。そして、多数派は前者なのだ)
この動画投稿の最適解にたどり着いた際、ふと思い出したのが、冒頭で言った、かなり昔に立ち読みした「動画2.0」。「情報の凝縮」=「IPT(Information Per Time)を上げろ」、と書いてありよく分からなかったことが、自分の経験を通してようやく理解できた。
動画投稿の経過説明は以上だが、結論の行動指標については、冒頭述べた通りだ。もう一度書いておく。
YouTubeで名前を知ってもらう、チャンネルを登録してもらうには、クオリティの高いコンテンツを短時間に凝縮したものを長期間にわたり投稿し続ける必要がある。その際、#1~のようなシリーズものではなく、それぞれが単発動画としてタイトルを作成すること。
既に伸びている投稿者は人柄・お喋りが価値となり、ただ話すだけで見てもらえる状況にあるが、数字が少ない状態でそれをやろうとしても、そもそも動画や配信を開いてもらうきっかけであるオススメ欄や関連動画に載らないので、永遠に見てもらえない。絶対にやるな。
僕がゲーム実況をやめた理由
ここまでの説明で、YouTubeでどのようなスタイルで投稿していけばいいか、分かったと思う。では、なぜ僕がやっと最適化に達することが出来たYouTubeをやめたのか。
英語という参入障壁があり、ポケモンという超人気コンテンツのパロディ。そして、切り抜き動画という現代の動画産業に合わせた短時間x高クオリティ。
ようやく攻略法が分かった僕の本音は、こうだ。
「じゃあ重要なシーン以外全部無駄やん」
そう、僕はゲームがあまり好きじゃなかった。
(客観的に見ても、ゲーム好きであればあるほど「だからコイツは推せない」と言わざるをえない)
…実は、昔から弟に言われていた。「もっと楽しそうにゲームした方がいいと思うよ。」
僕自身、特に「量産」を意識して動画を作っていた時に、分かってたことだった。「こんなん単純作業やん」よく言ってた。
結局僕は、ただ手を動かしているだけ、という時間は瞑想目的以外我慢ならないのだ。
それに気づいたあとのポケモンロケットエディションの最後の配信。あれに全て出ていた。
…僕は応援してくれてた人をだましてしまったのだろうか?今でも分からない。
ただ一つ言えることは、僕はいつでも全力で生きているという事だ。だから、今は全力で、記事にする価値があることが思いつくよう、毎日考えたり調べたり、観たり聞いたりして過ごしている。
この生活は、考えたことが全て価値になる感覚があり、気持ちがイイ。久々に手書きでノートにメモを取る習慣もついた。
僕は僕にできる全力で、必死に考え続けて、こうなった。だから、後悔はないし、今後もこうやって生きていく。
僕が書くことが何かしら参考になればうれしい。
…たまにゲームをやりたくなる時もある。それが、ゲームというものが持つ中毒性のせいなのか、やっぱり僕が元々ゲームが好きなのかは分からない。
いつかまた動画をアップする時も、来るかもしれない。ただ、それにせよ、もう伸びる人間じゃないことはよくわかったので、完全にお遊びになるだろう。
おわりに
人間、若い時は憧れや、なれたらいいなと思う自分像に向けて、進路を選択してしまう。
しかし、これも記事にしようと思っているが、人生は遺伝子でだいたい決まっている。
向いていないことは、いくら頑張っても人並みが関の山だ。
最近、年々父親みたいになっていっている自分に気づく。
僕たちには、本当は選択権なんてないんじゃないだろうか?
普通に会社員ができないのも、身長が低くてすごくモテたりは難しいということも、結局一番得意で遺伝的にも優れていて当然の「書く」という行為に縋らないと生きていけないのも、実は僕の選択ではないのではないだろうか?
努力と才能論なんかが話したいわけではない。なぜなら、努力はして当たり前だからだ。オス、という言い方は反発を招くかもしれないが、僕の自然な言葉選びで行くと、オスとして頂点を目指すために尽力するのは、本能だからだ。
ただ、恋愛でもビジネスでも、この世は競争だ。人間1人より完全に優れるのは、使える情報が多分にある昨今、容易なことではない。一つの大きな欠点が、めちゃくちゃ足を引っ張る。
なので、僕がよく言っている得意を好きになろう論も、人は得意なことを一つ極めれば生きていける、という時代でもなくなってきたがゆえに、この論もまだ発展途上だ。
生き方についても、また進捗があれば記事にしよう。以上だ。