今日は、最近観た面白かったアニメについて書く。
大ヒットアニメ『呪術廻戦』について、だ。
アニメは、観る時期と観ない時期がはっきりしていて、海外ドラマを観ている時期と交互にやってくる、といった感じだが、やはり日本の誇るべき文化であって、面白いものは超面白い。
実は、少し前に、同じく流行っている、という理由から『鬼滅の刃』も観てみたが(映画は観ていない)、今回紹介する『呪術廻戦』の方が、僕としては圧倒的に面白かった。
面白すぎて、漫画の方でアニメの続きも、現行最新の15巻まで読んでしまったくらいだ(笑)
久々に良い作品に出会えたので、何が面白かったのか、読者の方も楽しめるのか、伝えていきたい。
でははじめよう。
呪術廻戦の設定
主人公・虎杖裕二の設定
呪術廻戦を観始めて、まず始めに思ったことは、面白くなるまでが圧倒的に速い!ということだ。
前述した同じくヒットアニメである鬼滅の刃を知り合いに勧める際、僕としては「修業編が終わるまでは我慢して観てみて!」という言い方をせざるを得ない。
その一方で、呪術廻戦だと主人公が「身体能力が人類最強」という設定を持っているおかげで、そのような準備のシーンにコマを割くことなく、すぐに戦闘シーンが観られる。
これは、YouTubeの登録者数を増やす記事でも触れたように、「スキマ時間でさらっと動画を観る」ことが主となるスタイルである現代社会において、非常に理にかなったデザインだと言えよう。
盛り上がりまでが早いと、離脱率がグンと下がるからだ。
どんなに面白い作品であろうと、ストーリーである以上はナンバリング順に観ていく必要がある。なので、面白くなるまでに離脱されてしまえば、それ以降のクリエーションの労力は、身もふたもないが水の泡だ。
同記事でこれもまた言ったが、それを避けるための単発動画構成。しかし、たいがいのアニメはナンバリングが避けられない。
現代の視聴スタイルに合わせた大胆な編集…と言いたい所だが、これはむしろ、ジャンプで掲載順位をキープし、確実に話を続かせようとする、作者や編集者の意図とも取れる。
たしかに、動画だけでなく漫画や書籍に至るまで、パッと楽しめる、パッと分かる、が求められている時代だ。(だから書籍の要約動画が流行る。僕は実際に本を読む方が絶対に良いと思うが)
まとめると、作る側の計算がいやおうなしに感じられ、「すごいな」と思う一方で、「この傾向が続くと、文学的な味わいのある作品などは、生まれにくいのではないか」と思わされる。
まあとにかく、序盤からめちゃ面白いアニメであることはたしかだ。
敵・味方の強さランク設定
この『呪術廻戦』は、バトル漫画であるからして、敵・味方関わらず、「めちゃくちゃ強いぞコイツ!!」となるシーンは、やはり見せ場の一つだ。
それをより効果的に、心理的にダイレクトに響くように、この漫画では味方の「呪術師」そして敵の「呪霊」双方において、強さのランクを設定している。
この画像を見れば分かるが、同じ級の数字を持つ呪術師を派遣すれば、対象の呪霊が倒せるような設計になっているわけだが、実際の任務になると、予想外のランクを持つ敵が出てきたりするわけで、その時に「コイツは〇級相当…!!」と言うと、読者は「ヤベェな」となるのだ。
この手法は、漫画「ワンパンマン」のヒーロー・怪人のランク付けでも使われているが、見た目だけでは分かりづらいキャラクターの強さが可視化されて、物語が非常に分かりやすくなる。
まあ、現実世界でも「東大卒です」「英検一級です」と言うと、心理学で言うバイアスが働いているのが自覚できても、やっぱり「すごいな」となる。それとも少し似ている。
なんにせよ、このランクシステムが呪術廻戦をより面白くしている、というのが僕の意見だ。
敵味方問わず、ランク「特級」のキャラが戦う時はワクワクする。ぜひ実際に観てみて楽しんでほしい。
呪術学校という設定
呪術廻戦には、呪術を学べる場所であり、呪術師の派遣も行っている、『呪術高専』という機関が存在する。
ストーリーに「学校」という要素を入れるのは、古今東西関わらず鉄板だが(ハリーポッター、ラノベ等の学園もの全般、部活もの等…)これがなぜかというと、皆が経験したことのある場所であり、かつ人間関係がとても描きやすいからだ。
やはり、我々が経験するorした所謂学校と違い、漫画に出てくる特殊な技術を鍛錬する機関であるから、常識が全く違い、ファンタジーの醍醐味である“非日常”を体感しやすい。
また、キャラクターを多数出演させても違和感なく個性を付与することができ、作者のアイデアのストックが遺憾なく発揮されるフォーマットだと思う。
呪術廻戦でも、途中から先輩後輩関係や師弟関係が出てきて、物語に奥行きが増していく。
さらに良いのは、東京校と京都校の2つがあり、ライバルのような関係になっていることだ。
後述するが、主人公とその近しい仲間たちは、昔の漫画に比べると、ライバル関係としてはかなりぬるいものとなっており、よりファミリー感やお互いに助け合うという描写が強調されている。
このあたりは時代の流れだなあと思わされるが、その分ピリッとした空気が足りない所があり、京都校の存在は、スパイスとなりかつキャラクターの面白さもある、重要な存在となっている。
呪術や呪霊の設定
月並みな言葉にはなってしまうが、呪術廻戦を漫画も現行最新の15巻まで読んだ感想としては、作者はかなり色んな方面に知識や好奇心を持っている、知性のある人なんだなあという印象を受けた。
そこまで重要ではない敵キャラの描写のために、しっかり生物学等の本を読んで勉強しているようだ。また、協力されているジャンプ編集部の方々も、理系の大学院卒で、専門分野に詳しい。
また、後述する作中の最強キャラの能力が「無限級数」に関連する能力である事には驚いた。無限級数は我々の世代(今もか)では数学Ⅲに該当する分野であり、また関連して触れられていた「アキレスと亀」についても、僕が知ったのは大学の哲学の授業だった。
またいつか書評を書こうと思う『RANGE 知識の「幅」が最強の武器になる』ではないが、自分が真剣に取り組む分野を絞るまでに、様々な経験をしたり、学んだりしておくことが、後になって活きてくるというのが、ここでもよく分かる。
まあそれ以前に、時代が進むほど娯楽の作品にも学問等専門分野の引用は増えるだろうし、テクノロジーが発展することで、少なくとも真面目な人はどんどん賢くなっていくだろうから、人生において「勉強するって楽しい」という視点は常に持っておきたいと思う。
僕は、自分が学ぶのが好きだし、学んでいる人が作ったもの、書いた本も好きだ。
呪術廻戦の作風
ここからは、呪術廻戦の作風というか、作品の特色として、僕が魅力的に思えた部分を紹介していく。
「呪術は才能」という前提
先述した通り、呪術廻戦に出てくるキャラクターたちは「呪術師」という職業というか異能力者で、彼らは「呪術」という技を使う。これは、『Bleach』や『Hunter X Hunter』のような、能力バトルの能力と考えてもらって差し支えない。
『NARUTO』に出てくる忍術のように、練習したら誰でも使えるタイプのものもあるが、戦闘において圧倒的に強いのは、各々が固有に持つ特殊能力の方だ。
そしてこの能力だが、「生まれつき体に刻まれた術式で決まっている」という設定のため、練習してどうこうなる類のものではない。(その能力自体を使いこなせるようになる、という描写はあるが、能力の種類自体は不変)
なので、ある種闘いにおいて「努力より才能の領分が圧倒的に大きい」という前提が出来る。
この作品においての最強キャラは、先ほど書いた「無限級数」のキャラだったり、主人公にとり憑くラスボス(?)だったりするわけだが、彼らは練習や努力をしてその位置にいるわけではない。
初めから「最強」として生まれ落ちた。そのような設定だ。これが、僕が普段持っている世界観と非常に類似していて、心地よかった。
前々から言っているように、人それぞれ得意な領域は違うし、できることは「努力してできるようになった」より「最初からある程度上手かったものを、練習して人には真似できない領域までたどり着いた」という表現の方が近いと思う。
そのことに気づくと、人生が少しラクになるし、やるべきこと、やりたいことも見えてくる。
昔のジャンプ漫画は「友情・努力・勝利」が合言葉だとよく言われていたが、時代が進み、エンタメにもより真実に近い設定がされるようになってきて、嬉しく思っている。
まあ、単純に「天才」という表現の方が強キャラに対して畏怖の感情を抱かせやすいだけなのかもしれないけど。
ハンターハンター的バトル
読者の方がハンターハンターを読んだことがあるかは分からないが(ないなら読んでおいた方がいい。後悔はしない。ネット上でもこれがネタ元の発言が飛び交っている。)、この漫画・アニメの戦闘描写は、ハンターハンターと似ている。
ようは、戦闘中の心の声、思考の言語化が非常に多い。
これにより、先ほどの書いた呪術という能力や身体能力、周囲の状況など、あらゆる要素を考慮しつつ頭をフル回転させてキャラクターたちが戦っていることが、よく分かる。
能力のゴリ押しではなく、戦闘がとても戦略的なのだ。
漫画が特にそうだと思うが、ものによっては文字が少なすぎて物足りない、という感想になってしまうものもある中で、戦闘というアクションメインのシーンでも、言語と絵の両方で楽しませてくれる作品だと言える。
特に、特級呪霊「真人」関連の戦いや、主人公と東堂のタッグvs花御、まだアニメ化はされていないが、渋谷での攻防全般はその好例である。
必殺技「領域展開」がカッコイイ
バトル漫画には必殺技がつきものだが、当然「呪術廻戦」にも必殺技が登場する。
これが、「領域展開」だ。
指で印のようなものを組んで発動することが多いが、いわゆる空間魔法というか、文字通り領域を展開して、そこで戦うことができる、というもの。
使用者によってデザインも能力も微妙に違うが、主となる特殊能力は「技が必中になる」、つまり領域の使用者の技が絶対に当たるようになる。
バトル漫画で必殺技というと、派手な攻撃技が多いと思うが、これを補助技のような設定にしているのも、呪術廻戦の面白さだ。
技の必中効果以外にも、空間を遮断して他者を締めだす性質もあり、上述のハンターハンター的戦略バトルにおいても、状況が複雑化してよりエキサイティングになる。
また、何といっても技名と領域のデザインがかっこいい。使用回数と印の組み方の気持ち悪さもあって、真人の「自閉円頓裹」は非常に印象に残っている。
次の展開が予測不能
この作品は、バトル漫画の中でもかなり描写がグロテスクというか、手が取れたり心臓が出てきたり、普通にするタイプのやつなので、次の瞬間に人が死んでたりして気が抜けない(笑)
話の組み立ても、ちょうどいいタイミングで仲間が増えたり、敵キャラが増えたり、場所が移ったりして、飽きない。
また、まだ読んではいないが第0巻という、おそらく本編より時系列が前のお話があったり、登場人物の過去の話も頻繁に登場したりして、とても立体感がある作品だと言える。
当然、特殊能力バトルにありがちな、「敵の能力、何!?」という面白さも勿論あり、とにかく次の展開を予想するのが難しいアニメだと思う。
Netflixで視聴している時も、先が気になってどんどん次のエピソードを再生してしまった(笑)
アニメの終わり方が良い
ネタバレになるので詳しくは書かないが、アニメの最終話は「マジで!?」となる事が起こっていて、次シーズンも絶対観たいなと思わされるあたり、巧妙な位置で区切ったなと言わざるをえない。
その後、漫画の方で続きを読んでしまいはしたが、次回が気になる形でシーズンを終える、という締め方としては、満点だったのではないだろうか。
気になる人は、アニメで確認してみてくれ!
呪術廻戦のキャラクター
ここからは、キャラクターについて話していこうと思う。
と言っても、もちろんキャラをそれぞれ紹介していくようなことはしない。(そんなそのへんのブログで書いてあるような事は死んでも書かない笑)
どちらかと言うと、キャラクターの配置の仕方や役割等を考察することで、タイトルの通り、呪術廻戦がなぜ面白いのかという話に繋げていきたい。
NARUTO宛らのスリーマンセル
この作品のキャラクター配置で、最も特徴的なのが、呪術師が3人1組で行動するということだ。
これは、大人気忍者漫画の『NARUTO』に酷似している。
NARUTOとは違い、メンバーが固定だったり、不変の先生ポジションがいるわけではないが、主人公+男女1名ずつの構図は、NARUTOを思い出した人も多いだろう。
思うに、この「スリーマンセル」という構成は、ドラマが起こりうる最小ユニットなのだろう。NARUTOでも3人ながら助け合い、ライバルであり、恋愛の対象であったりした。
そういえば、先に触れたハンターハンターでも、序盤はゴン・クラピカ・レオリオの3人構成だった。
この呪術廻戦のスリーマンセルも、NARUTOのカカシ班とかなり似たメンバー配置になっている。
ただ、NARUTO連載当時よりも時が経っていることで、より現代的な性格のキャラとして描かれている。(舞台が現実の日本、東京であることも理由の1つだろう。)
主人公・虎杖裕二は、ナルトと比べれば冷めたところも多く、しかし、仲間想いだったり自分の役割の大きさに葛藤したりと、当時の熱血主人公とは異なった性質を持つ。
ナルトのような明るいポジションは踏襲しつつも、より共感できる性格や背景(家族の死から呪術師を志すなど)にしているところがポイントだ。
最序盤から登場する、仲間の1人・伏黒恵(呪術廻戦は男でも女性のようなファーストネームのキャラがいる)は、容姿もサスケとかなり似ている。
しかし、主人公とのライバル関係の描写は少なめで、互いにリスペクトし合い、かつ死なずに生き残ってほしいと思いあうファミリー感の強い関係性となっている。
ちなみに、まだ漫画でも詳細は紹介されていないが、生得的な術式に関しては、最強キャラと肩を並べるほどのポテンシャルがあるとされており、身体能力で天才である主人公との差別化も、きちんとされている。
そして、紅一点の釘崎野薔薇。
彼女も春野サクラ並みにはっちゃけた描写はあるが、恋愛をするようなキャラではなく、出身が田舎であることに関連する独自のエピソードがあったり、素直に都会に憧れていたりするなど、現代風のキャラ設定だと思う。
野薔薇は特殊能力が丑の刻参りのようなデザインで、これは呪術と聞いて想像できる最もキャッチーな武器という意味で、非常に分かりやすく受け入れられやすいはずだ。
また、能力の性質も非常にトリッキーで、身体能力はそこまで強くないながらも、強敵を脅かすような展開も多い。
このように、スリーマンセルの良い所を理解して設定しているだけでなく、現代の中高生にも受け入れられるようなキャラクターを練り上げているという点は、呪術廻戦大ヒットの大きな要素であると感じている。
カカシ先生ポジ・五条悟
そして、何といっても五条悟。この作品の代名詞と言っても良いだろう。
動画サイトを「現代の中毒物質」としたこの記事を書いてから、アンインストールしてしまったが、TikTokでも「大丈夫、僕最強だから」という音声が、多くの人々に使われていた。
ここでもNARUTOとの類似性を指摘するが、五条悟はカカシ先生と同じようなポジションのキャラとして描かれながらも、やはり少し違った役割を持たされている。
まず、カカシ先生も木ノ葉の忍者の中で最強格のキャラだったが、五条悟はそれ以上だ。
いわば、人類の切り札。五条悟が死ねば人間は終わるし、五条悟がいる限り、呪霊や呪詛師(呪術師の悪者版)は大っぴらに活動できないほど。
彼が生まれたことで、「陸上の記録の壁が一度破られると、次々とそれを破るものが現れる現象」のようなものが起き、呪術師・呪霊とも、次々と強い個体が姿を現すようになった。
その能力は作品でもちょいちょい小出しにされているが、先述した「無限級数」で、時間・空間を司るような攻撃方法もあり、1000年に一度レベルの才能によるものだと言うことを書いておこう。
NARUTOの木ノ葉の里には、カカシ先生以外にも優秀な上忍や、親世代の強い忍者が大勢いたが、呪術廻戦の人間側は、まだヴェールのかかったままの強キャラがいるものの、どちらかといえば五条悟のワンマンに近い描かれ方である。
“最強”だったりチートじみた能力を持つキャラは扱いが難しく、ハンターハンターのアルカなどもそうだが、途中退場させられてしまうことが多い。あまりネタバレはしたくないが、五条も似たような展開になってしまう。
だが、そのようなキャラクターがいると強さのバランスが崩れてしまうと思いきや、五条の強さを随所で見せつけつつ、呪術師と呪霊の戦争をしっかり面白く描けているのはポイントが高い。
また、人柄ももはや先生というより先輩と言った感じで、かなりフランク、かついじられている場面も多い。純粋な強さだけでなく、冗談を連発するほどの余裕を感じさせる性格が、より強さを強調している。
作中キャラの誰が彼を説明しても、最後に必ず”最強”と一言添えられるあたり、彼の強さに対する絶対的な評価が伺える。
漫画やアニメでは、“最強キャラ”が好きな層も厚いので、それを取り込むという意味合いもあるのかもしれない。(古いが、シャーマンキングのハオ、黒子のバスケの赤司等)
まとめると、五条悟は”最強”や”完璧”と言うような人々が憧れる概念を具体化したような存在で、彼に監督されている主人公たちを半ば安心感を持って観ていられると同時に、彼がいなくなる時の絶望感が半端ないキャラ。
また、特にアイマスクを外した時のビジュアルの良さ、アニメ版の中村悠一の声の良さもあり、作品の人気を支えているキャラだとも言える。
個人的に好きなキャラ・七海建人
NARUTOほど登場人物が多くなく、その点で読みやすい「呪術廻戦」だが、敵・味方関わらず魅力あるキャラクターは多い。
その中でも僕が気に入っているのは、一級術師・七海建人だ。
七海は実力的には「めちゃくちゃ強い!」というわけではないが、特殊能力が他の漫画では見たことのないもので、面白い。
それが、「敵の身体(全長だけでなくそれぞれの部位も含む)を7:3に分けた点を、強制的に弱点とする」というものだ。
比較的地味な部類の能力ではあるものの、スキルを使いこなし堅実に戦闘を優位に進めていく様子がカッコイイ。
また、呪術師界隈の生まれにも関わらず、一度社会人を経験し、どちらも「クソ」なら人に感謝される仕事をしようと再び呪術師になった、という経歴を持つ。クールなビジネスマン風の雰囲気を纏うも、本当はめちゃ良いヤツ、という設定も良い。
社会人時代の独白のシーンは、ホワイトカラーの労働者が共感できる部分も多かったのではないかと思う。
特に、七海はヘッジファンドのような所で働いていた模様で、人よりも数字を相手にする毎日の中、人間性の欠落のようなものを感じていたのかもしれない。(別に金融関係者をディスっているわけではないが)
呪術師へと返り咲くきっかけとなった、パン屋のエピソードは必見である。
声の担当が海馬社長でおなじみの津田健次郎さんなのも凄くフィットしていて、好きな人も多いキャラなのではないかと思う。
少しネタバレが多い記述となってしまったが、この記事を読んで呪術廻戦を観てみようと思った人は、七海の登場を楽しみにしていてほしい(笑)
呪術廻戦での学び
優れた物語は、ただ楽しめるだけではなく、観ている人に何らかの学びを与えてくれる。
呪術廻戦では、先ほどの才能についての話以外に、個人的に2点、気になる学びがあった。
”目”より先に”手”が肥えることはない
目と手の話。これは、近日発表した、書籍「知覚力を磨く 絵画を観察するように世界を見る技法」に関しての記事でも触れた。
「良し悪しを見抜く”目”を養わねば、作品を生み出す“手”の成長は望めない。表現者の間でよく使われる文句。これはあらゆる専門(ジャンル)に共通し”目”の良い者の上達速度はそうでない者のそれを遥かに凌駕する。」
花御戦で東堂が主人公・虎杖裕二の急激な成長を目にして言ったセリフだ。
「学ぶ」という言葉は「真似る」から来ているように、自分より優れた者の優れた点を正確に認識し、それを自身に取り入れるというのは、上達の基本である。
しかし、観察者と対象の決定的違いを、観て理解する「目」がなければ、やみくもに訓練することしかできない。
その意味で、まずは知覚力を鍛える、という事が、優れた人間になるための第一ステップである。これが、上記記事を書いた主な意図である。
記事内で推奨した、西洋絵画を毎日観察する手法は、もちろん今も続けている。起きてパソコンを開くと、毎回違う絵が出てきて、それがどのような絵か、記事内の観察技法を試すのが楽しみにすらなってきた。
このように、娯楽作品1つ取っても、観る人の心がけ次第で成長のきっかけにすることができる。これは、書く人間として絶対に続けたい習慣だ。
理性と本能
これも花御戦の話だが、今回は花御自身の回想で真人が言っていた言葉だ。
「俺達は理性を獲得したかもしれない」「でもそれは本能に逆らう理由にはならないよ」「魂は本能と理性のブレンド」「その割合は他人にとやく言われるもんじゃないけどさ」「君の魂は少し窮屈そうだ」「花御ってさ、本当はもっと強いんじゃない?」
これはつまり、理性一辺倒の生き方をしてしまうと、魂が本来求めている自由さを欠き、本来の力が出し切れないのではないか、という指摘だ。
ここに1つ例がある。(下賤な例になってしまってすまない。)
異性と夜の営みをする際に、「次はこうして、その次はこうして…」と思考に頼ってしてしまっている内に、体の方がなんだか反応しなくなっている、みたいな事がある。
そんな時、「いやいや、もっと本能的に、考えなくていいんだ」と思い直すと、何というか、いとも簡単に復活する(笑)
この学びは結構大きいと思っていて、普段の生活では、ここで言う「頭一辺倒」に知らず知らずになっていても、それを確認する術がない。
だから、理性的になりすぎていないか、大いに注意しなければならないと思っている。たまには損得の勘定や理屈ぬきにして、思い切って本能に従うdecision-makingも必要という事だ。
おわりに
最近は、娯楽作品1つ観るにしても、メモを取るという習慣が定着したせいで、それを全て整理して記事にするのが、けっこう大変になってきている(笑)
書きたい事が多いので、先に記事自体を公開してしまい、随時加筆・編集を行っていくスタイルとなった。
しかし、そのおかげで、わりと独自の視点からレビュー記事が書けたのではないかと自負している。
今回の記事で、アニメ・漫画『呪術廻戦』の魅力が少しでも伝われば幸いだ。
読んでくれてありがとう!
P.S. アニメ版はNetflixで、漫画版は下記に商品リンク。